依存
一般にM女性は、依存心が他の女性より強いと思われる。首輪をつけられて鎖をつけられて支配されたい。檻に入られて飼ってもらいたい。縛られたいというのも、主のいいなりになりたいという、心の表れだろう。依存心が強ければ強いほど、それらの気持ちはなおさら強くなる。心まで縛られたくなる。ただ、現実には仕事などどうしても、M女をかまってやれない、連絡を取れない時間は必ず存在する。その現実さえなければ、私はずっと、貴女をいつも私の手元に置いておき、かわいがっているだろう。そして、それをうまくfollowするのが、主の役目だが、まだまだ私も未熟なせいか、残念ながら、私の元を去っていった女性がいる。やはり問題は、頼られない、放置されているという、見捨てられる不安を従が必要以上に抱いてしまうからなのだろう。調教については、もちろん、割り切る女性もいるのも事実の話だが、言葉と言葉、身体と身体を絡めていると、必ず情というものは存在するし、その情もこめて、また逆にこめられて、私は調教している。その情を増幅させたものが、依存というものを形成していく。そして、人と人は、実は根っこで全て繋がっているんじゃないかとふと思う。その
根っこをお互いに手繰り寄せたのが、出逢いだとしたら、調教はまさに絡めあうものではないだろうか。縛る縄がその象徴だろうか。根っこをSM的に表現すると、「見えない鎖」だろうか。依存・・・それは、M女が与える見えない鎖。私はそれを、かたくなに捕らえていたい。